『愛しのアイリーン』のモザイク考


愛しのアイリーン

誰も救えない声が聞こえる。それ自体が救いじゃないか。決してハッピーエンドではないが、登場人物は最終的に救いを得ている。この劇(的なるもの)からの退場は死ではない。表面上は死なのだが、実際に退場しているのは救われなかった者たち。愛されなかった者たちである。

「淫りつ」
久々に邦画で純粋なモザイクを観たが『シェイプオブウォーター』の時のように「モザイクなんていらねえよ。みてえみてえ」とならなかったのは、あまりに馬鹿馬鹿しいモザイクだからだろう。モザイクは笑いの膜へと変わり、隠さなければならないはずの性器は、隠れていてほしいものへと変わる。見えてほしいものが隠れてほしいものへと変わる。しかし、検閲側が隠れていてほしいものだった性器が、観客が隠れていてほしいものへと変わる。これはかなり現代的な性表現ではなかろうか。近現代の性表現は全てを見せることで評価を受けていることからも、このモザイクの新しさがあるが、実は隠すべきところやセクシーシーンはこの映画に多々存在し、モロに出ているところだけをモザイクにしている。「遂に来たよ!」という期待からくる興奮と「やっぱりね」という諦め、そして現代劇の野外シーンにアダルトヴィデオばりのモザイクという異化効果。計算された性表現を映画で観れることこそ、現代アートと呼ぶべきだ。そしてこの性表現をモザイクアートと呼ぼう。笑

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『大虐殺』寝ても覚めても観たらそうでも


『大虐殺』
関東大震災直後と虐殺(軍人やべえなあと思わざるをえない描写ばかり)を丹念に描き、大杉栄が見せ場なく死に、中濱鉄と古田大次郎が混ざった役を天知茂(役はどうあれ、くそかっこいい)が演じ、『菊とギロチン』が参照してるであろうシーンが多々あるというだけの映画だったけれど、未DVD化なため伝説になっていた映画。セクシーなシーンが一切なく、無駄に硬派なのがギロチン社の滑稽さを強くしている。


ちなみに『菊とギロチン』が参照してるであろう場面は、和久田なる人物が大杉栄の演説中に逮捕されるシーンと、「女が守れなくって〜」の部分。まじでこんな映画から良いとこ盗んでるなって思う。


暗くじっとりした質感のため、失敗が陰惨になってしまう。本来、本気の失敗は笑いに転ずる可能性を孕んでおり、ギロチン社を題材にした作品(映画、小説、伝記など)はどこをどう落とすか、どんなふうに失敗を描くか、がキモになるのだが、『大虐殺』は失敗している。笑 実は『日本暗殺秘史録』の古田大次郎パートも似たような質感になっていて、これが昭和のギロチン社の映画の空気とも言えるのかもしれない。


瀬々敬久監督は、この昭和的質感を逃れるために、女相撲を登場させて、見事な青春群像劇に仕立て上げたのだろう。『映画芸術』で荒井晴彦は監督の前でクソミソに貶していたが、それは昭和的質感に取り憑かれていたに過ぎない。『映画芸術』のこの記事を読んでしたり顔になっている奴もしかり。笑



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『最後まで行く』が足りない


『最後まで行く』


「あーあ」と「まじかよ」しかない映画に、それ以上の言葉がいるだろうか。笑 脚本やトリックの破綻でさえ、この二言で済ませてしまえるのにめちゃくちゃ面白いのは、韓国映画特有の力技だろう。映画にはそれぞれの国のステレオタイプというものがあるが(ここでは一々述べないし、個人の主観かもしれないが韓国映画つったらたるいがヤバい恋愛モノと残酷な復讐劇と、どんどんどんどんでんでん返しの快感にヤラレた人が作る伏線回収に目配せまでしたファストフードなどまあ、あながち外していないと思う。笑)、これも多分に漏れずどんどんどんどんどんどんでん返しの快感にヤラレタ人が作る伏線回収にまで目配せしたファストフードなのだが、まあ二言で済む。だって伏線回収とどんでん回収は「まじかよ」の快感を楽しむためのようなものでしょう。一時の快感を得るためでしかない。そのために伏線という化学調味料をブチ込む。「あーあ」については映画見てください。笑 まじで「あーあ」って言うと思う。

「どんな映画にもオリジナリティがあるが」
なかなか死なないふたりは最早『太陽を盗んだ男』のようで、当たり前のように、この映画のエンディングは3回ある。終わらせたくないから、伏線を順々に回収し、オチであえてスベらせる「ふつうにしたくないからハズしてスベる」という、足し算したのに最後が足りない。この自滅すら復讐に変えてしまうと思えてくるのが韓国映画のヤバさである。

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『合葬』英詞に導かれる武士の貞操


Tumblr上の日記『オン・ザ・忘れるなよ』から2018年6月10日を。



『合葬』
幕末武士の青春モノに弱い俺は、この映画に人を斬るシーンがほぼないこと(有ってもそれは木刀での稽古や喧嘩)に驚き、しかしそれは白虎隊など散ってゆく隊士を題材にする際にありがちな、幕末武士の内面や友情を描くため、後々の自害の無駄死に感を出すため(これは現代で特攻隊美化など言われないためでもある)あえて殺生を抑えているとも言えることとか全てをブチ抜いて、ただただ、あんたらも最期だからと渡されたお金でみんなで行った遊廓を出たとこ、白んだ空、冷たい空気を吸い、みんなでどんな女と寝たか言い合うあの感じ、流れる音楽!それがまさかの英詞!!!!笑 しかもゼロ年後半のdragon ash風!!!笑!!(実際はASA-CHANG and 巡礼。笑)!!!!これだけで本当に泣ける。素晴らしすぎるって。このシーンだけ何度も観たし、ここだけを毎日観るためにアマゾンプライムに入る価値はある(注:2018年6月当時)。

ちなみに仲間が順番に死んでいくことで快感を得る創作物はヤクザモノや刑事モノに多いが、1番気持ち良いのは侍モノで、1番気持ち悪いのは戦争モノである。というのにも関わらず気持ち悪いほど創作物の絶対数が増えているのは後者である。これに関してはノーコメントでいきましょうか。笑 まあ、言わんとしていることは分かってくれるはず。

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世界一美しいゲロと性器のような動物『アレックス・ストレンジラブ』


アレックス・ストレンジラブというタイトルでアレックス・トゥルーラブが主人公って時点でこの映画のヤバさが伝わるはずだ。笑 人間のペニスにそっくりな見た目を持つ動物が好きなトゥルーラブには、彼女がいる。しかし気になる男の子がいる。さて、俺はどっちなんだ!ゲイっぽいジョークをサイケな映像で彩るドラァグクイーン的なやり方は下手したら下品に映りかねないが、有り余るほどの若さが、瑞々しさそれをカバーしている。


「世界で一番美しいゲロ」はこの映画で見れる。カエルトリップ(中島らもの奇書『アマニタ・パンセリナ』にも出てくるアレだ。カエルを舐めたりして幻覚を得るやつ)によって芋虫に見えるカラフルグミを大量に食べた友人が吐き出すゲロを浴びるイイカンジのカップル。流れるベッドサイドミュージック。なんて美しいのだろうか。トロンとした目の俺が電車で何度もこの部分を巻き戻して観ている時、横に座っていた知的そうなギャルは俺のどこを見ていたのだろう。

同性愛をテーマにした映画には珍しく、幸せに充ちている。これは男だけの物語でも、女だけの物語でもなければ、男女の物語でもないからである。人間の物語であり、生物の物語でもある。それを俺たちが見ているだけで気付けるのは、主人公が好きなペニスのような動物や動物の交尾をサブリミナル効果と言えるほど見続けているからである。笑



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『私立探偵濱マイク 我が人生最悪の時』は今だからさあ、かんべんしてよもう


『私立探偵濱マイク 我が人生最悪の時』


探偵モノは大抵牧歌的な時代に生まれて、消費されずにオールディーズになる。という稀有なジャンルである。この映画などまさしくそうで、時代錯誤を躁病的に乗り切るという、間に合わなかったことを気合いで埋める男「林海象」を何故かエネルギッシュな永瀬正敏が乗りこなしている。


宍戸錠がブレーキをかける役割」
観客と濱マイクはぶっ飛ばしているが、宍戸錠がそのまま探偵として出てくることで、観客は総ツッコミする。「なんでやねん」と。初めてここで観客とマイクは分離し、改めて物語を見つめ直す。つまり、濱マイクが推理するのを客観的に見ることができるのである(大したことはしていないが。笑)。素人に探偵の真似事をされてもねえ。移入されて、危険な目にあわされてもねえ(実際、創作で探偵が痛い目にあうのはこういう場合が多い)。


「オマージュや小ネタが腐るほどあるが」
『俺たちは天使だ』以後の探偵モノはオマージュに走ることで『俺たちは天使だ』以前の探偵モノ好きに媚を売ることでファンを獲得している。いい加減クソみたいなやり方はやめたほうが良いとは思うが、濱マイクがしている時点で根は深い。

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ボケかけたジジイの可愛さをウリにしたい『ラッキー』と抗うジジイ

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いやー。夜通し遊んで『ハンソロ』を観てブチ上がったまま『ラッキー』観に行ったら5分で寝ました。笑 ハリー・ディーン・スタントンが歩いているところまでは覚えているのですが、そこからの記憶はあやふやで、ところどころ思い出して書こうと思ったんですけど、もう何が何だか。



ハリー・ディーン・スタントン演じるラッキーはカウボーイ天使みたいなお茶目な顔で幼児退行を存分に楽しんでいるイーストウッドよりお茶目なジジイ。ボケかけたジジイの可愛さをウリにしているんですが、それに抗うハリー・ディーン・スタントンの目がいいんですよねえ。ラッキーの由来とかが口を滑らせたように出てくるのも笑えますし、台詞が一々ユーモラスで、オチとか最高でした(バーのシーンは半分以上寝ていたがオチだけ奇跡的に確認。笑)。


ポスターのシーンは意外とケツが透けてないので残念でした。笑 ポスターは透ける加工をしてやがった。もっとそういうのは『トリガール!』とか別の映画でやってほしいんですけどね。ジジイのケツ透かしたって喜ぶのは俺くらいしかいないですから。


エンディングも含めて死が分かっていたであろうハリー・ディーン・スタントン賛歌となっています。そこに感動するか、退屈ととるかで面白さは変わってくると思います。俺は退屈でした。笑 歳を取ったら観たい映画ですね。台詞の良さもわかるようになるのでしょう(寝てたから分からなかっただけですが、若いからってことにしといた方がジジイが喜びますもんね)。どうせなら下のポスターみたいな顔つきで『グラン・トリノ』して欲しかったんですけどね。笑

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