『Mishima: A Life In Four Chapters』甘美は乱調にあり


『Mishima: A Life In Four Chapters』

フラッシュバックによる場面転換と組み立てられた場所で演じることに対して加速度的に観客は意識し、三島由紀夫の小説と三島由紀夫が同時に映像化されているために起こるズレが芸術だという一点責めの態度で映画は在る。このバランスが絶妙なため、いつまでも気付かれない名作なのだと思う。

三島由紀夫を題材にするとMishima は芸術で、三島は思想なわけで、つまり海外では芸術的な部分で評価されるけど、日本ではあくまで思想的な部分しか題材にされない。あんまり芸術的な側面は三島由紀夫の本質的な部分であるにも関わらず、日本の映画では表現されていないってことになるけど、それは三島由紀夫の美的感覚を三島由紀夫へ寄らずに表現できる監督が日本にはいなかったのだろう。だからmishimaがあるし、しかない。f:id:sumogurishun:20190218011614j:plain

『DOWNTOWN 81』俺は俺のラッパを吹け


DOWNTOWN 81


珍しいバスキアの主演映画DVDをメルカリで逐一チェックし、安価で購入した時から俺の未来は決まっていた。娘はバスキアと邂逅し、俺は新たな武器を手に入れた。

フィクションがフィクションに見えないのは、バスキアが普段からバスキアを演じているからで、ビート武がビート武を演じているのに似ているが彼は北野武でもあるというのとはわけが違う。笑 ケバい妖精が登場する御伽噺パートでもリアルに見えるのは、彼がバスキアを演じているのにも関わらず裏表がないという矛盾を常に抱えて生活しているからだろう。

俺は俺のラッパを吹け。人のラッパではなく自分のラッパを吹ける奴はいくらいるのか。自分のラッパをいくつ持っているのか。それで創作は決まると俺のラッパで吹いている。

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『ファーストマン』宇宙飛行士の死に様からポエトリーリーディングのダサさまで


『ファーストマン』


「デブは月面着陸の時でさえポップコーンを食べる」

俺は今日、目撃した。おかしくて笑ってしまった。が、月にいる間のIMAX無音状態でも図太く食い続けていた奴を、イーストウッドばりの早撃ちで仕留めた。三発、穴をあけたらポップコーンが飛び出た。なんだ、噛まずに飲んでいたのか。精一杯の配慮ありがとう。でも、音はしていたよ。

「あれから」
ララランドが月に行くのと対比させてリオン・ブリッジスにギル・スコット・ヘロン役でポエトリーリーディングさせている。とんでもない倒錯だ!と興奮したが、アカデミー賞がよっぽどキツかったんだと気付いて少ししんみりしてしまった。笑 このポエトリーリーディングがめちゃくちゃ良いんだけれど、ちょっと滑稽に映しているのが、デミアンのヤバいところというか、やっぱりなっていう。こういう声もあるってのを見せつつ、命かけてその次元じゃねえことやってんだっていう画を被せるっていう。笑 宇宙飛行士の死に様からポエトリーリーディングのダサさまで見せてしまったらアメリカ人は黙っちゃいないだろうと調べれば案の定キレてるっていう。笑 何をやっても人を怒らせてしまうという、才ある人の特徴がここまで出る監督ってあんまりいないよなあと嬉しくなったりする俺。

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『会社物語』ハナ肇は石原裕次郎なのか


『会社物語』


クレイジーキャッツ全員集合映画という安牌を市川準はバグらせて撮っている。笑 最後のクレイジーキャッツ全員集合だから、全員が歳でバグっていったのを市川準がまとめたのかもしれない。なぜならだんだんハナ肇石原裕次郎見えてきたというか、だんだんなっていったというか、最後は石原裕次郎だった。笑 最初から石原裕次郎だったのかもしれない。まさか銃を撃ち出すんじゃないかと思っていたら、本当に撃っていたから(おもちゃのピストルでこれほど笑ったのは初めてかもしれない。)俺の慢性虫垂炎の手術痕が開いた。ジャイアント馬場が登場したり、ただではクレイジーキャッツには演らせないという演出もその時のクレイジーキャッツ映画に合っていて、ズラし過ぎてハマる、というよりズラし過ぎて真っ直ぐになるというヤバい人のやり方で作品を作りまくる市川準の、俺しか言っていないけどロリコンでイケメン俳優に意地悪する疑惑のある市川準の(笑)、大好きなおじさん映画はクレイジーキャッツからはじまった!笑

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『バスキア10代最後の時』予想屋は競馬場で二度泣く

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バスキア 10代最後の時』


元カノの力、恐るべし。独占欲も天才相手だと、果たして自分だけのコレクションにしていて良いのかという疑問を生む。そのおかげでこの映画が生まれたと俺は予想する。笑 競馬かよ。

バスキアがアメフトのヘルメットを被ったポストカードが欲しくて観に行ったが、もらえなかったらなかなか辛かったと俺は予想する。笑 競馬かよ。

予想屋は競馬場で二度泣く」以上のことは説明できないように、彼の作品は説明できない。というより詩的なものは、説明の代わりに詩が存在する。


『まぼろしの市街戦』ケツの話。

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まぼろしの市街戦』


ケツでオトして良いんだって気付いた時、戦争をユーモアで吹き飛ばすという行為自体が馬鹿馬鹿しく思えてきた俺は、劇場でこっそり裸になっていたような気がする。こうして主人公と近づいた時に、精神ってものは案外モロいんだってわかった。そしてそのモロさは、モロに出ることで認知される。戦争時には知られることと、知られないことが生活においての全てであり、それを描いた。だからこそのケツでケツ。知り。日本語は、たまに本質に近づく。笑



『荒野の用心棒』ああ、おまえを逃がす時。


『荒野の用心棒』


女を逃がし、その旦那と子供から微妙な顔をされて、俺は物語を進行させるために少なくともお前らは助けてやったんだって空気を出しているクリント・イーストウッドを観れただけで、俺は感動していた。語らないことが男のあるべき姿ってわけではなく、語らない方がこの映画のためなんだって気概がある。笑 これが男なんだろう。

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