映画的殺しの新境地『ビューティフル・デイ』


ビューティフル・デイ

原題は『You Were Never Really Here 』だが日本や他国では『ビューティフル・デイ』と名付けられている。映画を広めるために英語を英語で直すのは、気持ち悪いことだと思う。「この邦題をつけた人は神」だとか色々な意見があったが、考えたのは日本人ではないだろう。英語圏の国の宣伝マンが英語タイトルをわかりやすいタイトルに直す。こんなことがあっていいのだろうかとも思うが、原題の良さが比較され分かるのならいいのかもしれない。

ミッキーマウスと蒸気船」
ミッキーマウシングスレスレのジョニー・グリーンウッドの音楽は、もはや劇伴かすらもわからないほど自然に不穏が鳴っている。ホアキンと同期するというよりかは、画と同期している。常に既に巻き込まれているホアキンと同期するには、先に音が鳴っていないといけないが、現在の時間軸にホアキンがいないために、未来や過去の画とジョニグリの音楽は同期しないとならない。それをやってのけたために、奇妙なミッキーマウシングが起こっている。


「映画的殺しの新境地」
だろう。ホアキンの演技、リン・ラムジーと撮影スタッフによるこの殺しの見せ方は。屋外ではホアキンとの何かを間に挟むことによって、現実との境界を作っているが、殺しが行なわれる屋内では、この境界は取っ払われる。つまりは殺し自身があいまいなものとして表現されている。実際に殺しが行われる瞬間が描かれていないのもそのためである。だからこそ現在の時間軸にいないホアキンが常に既に巻き込まれながらも、先に見せるのが未来という編集が画が新しく見えるのだろう。


「半魚人よりも」
このブログの「映画を論じる際に別の映画の名を出さない」というルールを少しだけ破るが、水中シーンの美しさは『シェイプ・オブ・ウォーター』に勝るだろう。ネタバレを避けるためにこれ以上は伏せておくが、(三十四字伏せ字)の美しさに震えが止まらなかった。



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