『暗殺のオペラ』どうにかしている街ではどうにかしていることになれてしまう


『暗殺のオペラ』


「まず…」
構図に見惚れているとストーリーを見失うが大丈夫。最後だけ見てもわかるから。笑 

「構図ぁ…」
ドリーしていくとピッタリ石像に歩く主人公が隠れるってヤバいでしょう。やべえなあ、やべえなあって思っているとだいぶんストーリーが微妙なんですよね。この街はどうかしている系の話にありがちな「どうせどうかしているから、どうかしているだろう」的思考になってしまうんですよね。何が起きても驚かないし、驚きにも慣れてしまう。ただ、構図(どうにかしている街がやべえ切り取られ方しているんですよ…)には慣れない。ここがこの映画の肝です。最後に種明かし的なものが用意されているのですが、まあ「やっぱどうかしてたわこの街」だって(以下ネタバレ注意)主人公の父はムッソリーニ暗殺計画をわざと密告して自分を仲間に殺させて(全てファシストのせい&シェイクスピアを参照)反ファシストの英雄をでっち上げただなんてねえ。街の人たちもなんとなくその英雄譚にノッていただけだなんて。めっちゃ面白いですけど、ギロチン社大好きな俺からすれば、上手いことやるなあですよ。笑 こちとら未遂で処刑ですよ。これが創作と現実の差なのかもしれませんが。笑


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