『ドニー・ダーコ』タイムトラベルの夜と霧


ドニー・ダーコ


タイムトラベルの魅力に取り憑かれる人が一定多数いることは、バックトゥザフューチャーがいつまでもカルト化していて、マイケルJフォックスがここ日本では歳をとらないことにも明らかだが、ドニー・ダーコはもう1人の自分にも取り憑かれている。笑 正確にはもう1人の自分に取り憑かれていると思っている。実際には、ただ暗示的であっただけ。タイムトラベルも、もう1人の自分も、ただ暗示的であった。自分の死に対して。映画というものは時間の流れの中に存在し、同じ時間の中に別々の映像は流せない。だから先の未来と、後の未来、どちらが本当だったのかは考えるべきではない。

しかし、先の未来が後の未来に対して暗示的であったのなら、やはり先の未来があって後の未来があるんじゃないか。そんな気もするが、全ては全てと繋がっている。未来を分けて考えることこそがおかしく、未来が未来だとするべきであり、未来を横の軸で分けるのではなく、縦の軸で分ければ途中で死が来るというタイムトラベルの論理が待っているのである。笑

f:id:sumogurishun:20190218235508p:plain