ディザスターアーティストの構造と力

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ディザスター・アーティスト


俺たちが把握することには、限りがあり、際限なく面白さを分かち合うこと、面白さに意味を持たせることを共有すること、なんてできないのだろう。意図したところ笑わせるだなんてコメディ以外もってのほか。意図しないところで笑ってしまうというのが常だろう。だからこそ最後に「俺のコメディ映画に〜」と言ってしまうのだろうし、ケツを見せたがるという一種のスラップスティックが完全にスベったのである。というかアレは二度目から笑ってしまうはず。何回も続くことによる笑いが、あの結果をもたらすのだ。

「そして完全に本物そっくりにつくりこまれた劇中劇は」もはや劇中劇中劇となっており、どう下手に見せるかという巧さまで下手に見せなければならない、つまりは本物のヘタクソに成るしかないという悪夢を永遠と観させられているのが、最後に一瞬だけ快感に変わる、そしてそれはあらかじめ分かっているという随分な構造なのである。