『最後まで行く』が足りない


『最後まで行く』


「あーあ」と「まじかよ」しかない映画に、それ以上の言葉がいるだろうか。笑 脚本やトリックの破綻でさえ、この二言で済ませてしまえるのにめちゃくちゃ面白いのは、韓国映画特有の力技だろう。映画にはそれぞれの国のステレオタイプというものがあるが(ここでは一々述べないし、個人の主観かもしれないが韓国映画つったらたるいがヤバい恋愛モノと残酷な復讐劇と、どんどんどんどんでんでん返しの快感にヤラレた人が作る伏線回収に目配せまでしたファストフードなどまあ、あながち外していないと思う。笑)、これも多分に漏れずどんどんどんどんどんどんでん返しの快感にヤラレタ人が作る伏線回収にまで目配せしたファストフードなのだが、まあ二言で済む。だって伏線回収とどんでん回収は「まじかよ」の快感を楽しむためのようなものでしょう。一時の快感を得るためでしかない。そのために伏線という化学調味料をブチ込む。「あーあ」については映画見てください。笑 まじで「あーあ」って言うと思う。

「どんな映画にもオリジナリティがあるが」
なかなか死なないふたりは最早『太陽を盗んだ男』のようで、当たり前のように、この映画のエンディングは3回ある。終わらせたくないから、伏線を順々に回収し、オチであえてスベらせる「ふつうにしたくないからハズしてスベる」という、足し算したのに最後が足りない。この自滅すら復讐に変えてしまうと思えてくるのが韓国映画のヤバさである。

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『合葬』英詞に導かれる武士の貞操


Tumblr上の日記『オン・ザ・忘れるなよ』から2018年6月10日を。



『合葬』
幕末武士の青春モノに弱い俺は、この映画に人を斬るシーンがほぼないこと(有ってもそれは木刀での稽古や喧嘩)に驚き、しかしそれは白虎隊など散ってゆく隊士を題材にする際にありがちな、幕末武士の内面や友情を描くため、後々の自害の無駄死に感を出すため(これは現代で特攻隊美化など言われないためでもある)あえて殺生を抑えているとも言えることとか全てをブチ抜いて、ただただ、あんたらも最期だからと渡されたお金でみんなで行った遊廓を出たとこ、白んだ空、冷たい空気を吸い、みんなでどんな女と寝たか言い合うあの感じ、流れる音楽!それがまさかの英詞!!!!笑 しかもゼロ年後半のdragon ash風!!!笑!!(実際はASA-CHANG and 巡礼。笑)!!!!これだけで本当に泣ける。素晴らしすぎるって。このシーンだけ何度も観たし、ここだけを毎日観るためにアマゾンプライムに入る価値はある(注:2018年6月当時)。

ちなみに仲間が順番に死んでいくことで快感を得る創作物はヤクザモノや刑事モノに多いが、1番気持ち良いのは侍モノで、1番気持ち悪いのは戦争モノである。というのにも関わらず気持ち悪いほど創作物の絶対数が増えているのは後者である。これに関してはノーコメントでいきましょうか。笑 まあ、言わんとしていることは分かってくれるはず。

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世界一美しいゲロと性器のような動物『アレックス・ストレンジラブ』


アレックス・ストレンジラブというタイトルでアレックス・トゥルーラブが主人公って時点でこの映画のヤバさが伝わるはずだ。笑 人間のペニスにそっくりな見た目を持つ動物が好きなトゥルーラブには、彼女がいる。しかし気になる男の子がいる。さて、俺はどっちなんだ!ゲイっぽいジョークをサイケな映像で彩るドラァグクイーン的なやり方は下手したら下品に映りかねないが、有り余るほどの若さが、瑞々しさそれをカバーしている。


「世界で一番美しいゲロ」はこの映画で見れる。カエルトリップ(中島らもの奇書『アマニタ・パンセリナ』にも出てくるアレだ。カエルを舐めたりして幻覚を得るやつ)によって芋虫に見えるカラフルグミを大量に食べた友人が吐き出すゲロを浴びるイイカンジのカップル。流れるベッドサイドミュージック。なんて美しいのだろうか。トロンとした目の俺が電車で何度もこの部分を巻き戻して観ている時、横に座っていた知的そうなギャルは俺のどこを見ていたのだろう。

同性愛をテーマにした映画には珍しく、幸せに充ちている。これは男だけの物語でも、女だけの物語でもなければ、男女の物語でもないからである。人間の物語であり、生物の物語でもある。それを俺たちが見ているだけで気付けるのは、主人公が好きなペニスのような動物や動物の交尾をサブリミナル効果と言えるほど見続けているからである。笑



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『私立探偵濱マイク 我が人生最悪の時』は今だからさあ、かんべんしてよもう


『私立探偵濱マイク 我が人生最悪の時』


探偵モノは大抵牧歌的な時代に生まれて、消費されずにオールディーズになる。という稀有なジャンルである。この映画などまさしくそうで、時代錯誤を躁病的に乗り切るという、間に合わなかったことを気合いで埋める男「林海象」を何故かエネルギッシュな永瀬正敏が乗りこなしている。


宍戸錠がブレーキをかける役割」
観客と濱マイクはぶっ飛ばしているが、宍戸錠がそのまま探偵として出てくることで、観客は総ツッコミする。「なんでやねん」と。初めてここで観客とマイクは分離し、改めて物語を見つめ直す。つまり、濱マイクが推理するのを客観的に見ることができるのである(大したことはしていないが。笑)。素人に探偵の真似事をされてもねえ。移入されて、危険な目にあわされてもねえ(実際、創作で探偵が痛い目にあうのはこういう場合が多い)。


「オマージュや小ネタが腐るほどあるが」
『俺たちは天使だ』以後の探偵モノはオマージュに走ることで『俺たちは天使だ』以前の探偵モノ好きに媚を売ることでファンを獲得している。いい加減クソみたいなやり方はやめたほうが良いとは思うが、濱マイクがしている時点で根は深い。

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ボケかけたジジイの可愛さをウリにしたい『ラッキー』と抗うジジイ

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いやー。夜通し遊んで『ハンソロ』を観てブチ上がったまま『ラッキー』観に行ったら5分で寝ました。笑 ハリー・ディーン・スタントンが歩いているところまでは覚えているのですが、そこからの記憶はあやふやで、ところどころ思い出して書こうと思ったんですけど、もう何が何だか。



ハリー・ディーン・スタントン演じるラッキーはカウボーイ天使みたいなお茶目な顔で幼児退行を存分に楽しんでいるイーストウッドよりお茶目なジジイ。ボケかけたジジイの可愛さをウリにしているんですが、それに抗うハリー・ディーン・スタントンの目がいいんですよねえ。ラッキーの由来とかが口を滑らせたように出てくるのも笑えますし、台詞が一々ユーモラスで、オチとか最高でした(バーのシーンは半分以上寝ていたがオチだけ奇跡的に確認。笑)。


ポスターのシーンは意外とケツが透けてないので残念でした。笑 ポスターは透ける加工をしてやがった。もっとそういうのは『トリガール!』とか別の映画でやってほしいんですけどね。ジジイのケツ透かしたって喜ぶのは俺くらいしかいないですから。


エンディングも含めて死が分かっていたであろうハリー・ディーン・スタントン賛歌となっています。そこに感動するか、退屈ととるかで面白さは変わってくると思います。俺は退屈でした。笑 歳を取ったら観たい映画ですね。台詞の良さもわかるようになるのでしょう(寝てたから分からなかっただけですが、若いからってことにしといた方がジジイが喜びますもんね)。どうせなら下のポスターみたいな顔つきで『グラン・トリノ』して欲しかったんですけどね。笑

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ハンソロのシーザーに万歳(俺のようなSW初心者のアンタのために)

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ハン・ソロ

SWは『最後のジェダイ』しか観ていないし予習もしていないため、ハンソロもチューバッカ(前作では動かないぬいぐるみが出演していたくらいにしか)も何者か分からないまま見始めた男(素潜り旬)は、ジジくせえハリソンフォードよりも『ヘイル・シーザー』のとっぽい西部スターオールデン君の方がかっこいいんじゃないかなどとジジくせえファンにキレられるようなことが観ながら頭から離れずにいた。ブレードランナーもジジくせえハリソンフォードよりもラララ兄ちゃんの方が明らかに格好良いじゃないですか。ハリソンフォードは譲れる俳優なのかもしれない。譲れない俳優つったらマット・デイモンとかじゃないですか。笑

というかもう『ヘイル・シーザー』の立ち振舞いまんまでハンソロ役を射止めたと言っても過言ではないオールデンくんが、ハリソンフォードに似てるかといえば似てる。そこがこの映画を面白くさせる一因となっているのではなかろうか。とっぽい兄ちゃんが若き日のハンソロ射止めてる(『ヘイル・シーザー』は劇中劇から劇中劇中劇までやりきるミュージカル)!なんて喜びを感じ、もしかしたらチューバッカもこんな風に思っているのかもしれない。


「内容は無いよ」
新たな事実を付け加えることが過去作の喜びだと俺は思うのだが、製作陣はそうではないのだろうか。推測でしかないが、今まで語られていなかったことの説明や理由付けに終始し、それ以外は西部劇かギャンブル。というファンからすれば、ジジイの蛇足でしかないと思うんですけど、どうなんですか。そうですよね?それともやっぱりこういうのはファンは嬉しいものなんですか?俺がSWオタクなら、新たな事実を付け加えまくって、これが今のSWのヤバさですつってドーンとフォースのために?やって貰った方が面白いと思うんですけどねー。俺はオールデンくんのとっぽさが見れたらいいんですけどねー。あとチャイルディッシュガンビーノの軽薄さですねー。ディスイズアメリカなんて言っちゃうくらいですからねー。いやー。笑 これはアメリカではないとか言ってアジア人へのディープスロート的なものやってくれたらよかったのに。そしたら俺は一切を信じる。なんて俺の話は良いですね。SWについてもひとつだけ。『最後のジェダイ』で震えたオープニングロールが、スピンオフにはないんですか?あれを一番楽しみにしていたのに。

くだらないことばかり書いていて忘れていたが、この映画には俺の好きな三要素が入っており、これがあるだけで合格なので、好みを持ち込んでしまうが、これさえあればだいたい文句なしである。バディものであること(ハンソロは特殊なバディもので、ペアを入れ替えたり、すべての登場人物がペアで行動する。)、しょぼい銃で撃ちまくること(西部劇というよりもはや日本のヤクザ映画である)。AIとの恋愛(ラブストーリーとして定番化してきているが、まだ充分楽しめる)である。好みだなんだって書いたが、この要素があるだけでSWを知らなくても、いまの映画として楽しめるんじゃないか。俺みたいに全然SWを知らない人にも見てほしい。そして話したい。俺だけだなんてつまらないじゃないか。






『菊とギロチン』で踊り狂え


人間が踊り狂うのを見るのが好きだが、そんな場面に出くわすことなど、そうない。クラブでトランス状態に入った奴を屋内で見たことがないし(ヤバイ奴はだいたい外で音漏れを聴きながらイかれてる)、俺が見たのは野外レイヴパーティーだし。周りの景色がほとんど変わらずに朝日を迎えた経験があるし。やっぱり外に限る。これを映画で表現しているのが『菊とギロチン』だ。すべては野外にある。中に居てちゃあ本物の感覚を味わえない。


ただ、中にいるのにトランスできる要素が1つある。それは汗だ。汗のにおい、汗ばんだ肌の触れ合い。人を刺激するのは体液である。これを映画で表現しているのが『菊とギロチン』だ。相撲は見るのもやるのも気持ちが良い。

というより、音に反応して身体が動いていないか?そりゃそうだ。民族音楽はトランスするためにあるし、それはひとりでもみんなでも構わない。これを映画で表現しているのが『菊とギロチン』だ。いつだって肝心な時に男はふたり女はひとり。まずは行動ありき。おとに合わせりゃ都合良いじゃないか。

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