『大虐殺』寝ても覚めても観たらそうでも
『大虐殺』
暗くじっとりした質感のため、失敗が陰惨になってしまう。本来、本気の失敗は笑いに転ずる可能性を孕んでおり、ギロチン社を題材にした作品(映画、小説、伝記など)はどこをどう落とすか、どんなふうに失敗を描くか、がキモになるのだが、『大虐殺』は失敗している。笑 実は『日本暗殺秘史録』の古田大次郎パートも似たような質感になっていて、これが昭和のギロチン社の映画の空気とも言えるのかもしれない。
瀬々敬久監督は、この昭和的質感を逃れるために、女相撲を登場させて、見事な青春群像劇に仕立て上げたのだろう。『映画芸術』で荒井晴彦は監督の前でクソミソに貶していたが、それは昭和的質感に取り憑かれていたに過ぎない。『映画芸術』のこの記事を読んでしたり顔になっている奴もしかり。笑