『マン・オン・ザ・ムーン』『ジム&アンディ』俺は他人である


『マン・オン・ザ・ムーン』『ジム&アンディ』

「ことの連弾によるリズムを持っているから」
自分を定義することで他人になれるのは、他人でいることに慣れることであり、自分に似ている部分を他人に感じることで他人では無くすというよりも、自分以外を他人とすることで他人になれる。しかしその果ては、自分以外のことを掻き集めて他人になったことで、他人になる必要が無くなった時、自分を定義すること以外の全てを1度手放す作業が必要になり、代わりにとてつもない喪失感が訪れるということである。

「そしてその喪失感から立ち直るには」
思い出す作業が必要となる。手放した感覚や、自分が他人だった感覚を思い出すことによって、もう一度自分を取り戻していく。他人だった自分を取り戻す作業により、結局は他人だった自分を同一化していく。つまり、他人になった時点で他人になる前の自分には戻れないし、自分は他人でもあるが(当たり前だが)自分でもある。

「これは俳優だけに限らない」
俺たちは、新しい繋がりを得た時、新たな振舞いを自ずとしている。常に新しい振舞いをするか、過去の振舞いの引き出しから選ぶかを選択している。その選択こそが演技なのであり、その選択を常に過去に委ねるのがスタニスラフスキー・システムである。我々はスタニスラフスキー・システムだって気付かないうちにやっている。音楽家が基本的に演技を得意としているのは、歌詞を書くことによって、創作だとしても歌詞の出来事を頭の中で体験しているから、選択肢が多いというわけである。

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