アメリカ本オヤジと動物型の秘宝『スリービルボード』



『スリービルボード

映画を観た後、これは答えを知りたがる人が続出だろうなと思ったが、案の定そうで、そうなればそういう人々はまずパンフレットを読む。考えず答えのみを知りたがり満足する人々は一定数いる。そして、答えを言いたくて仕方がなくなるのだ。彼らは、まさかであったが(笑)、町山智浩が寄せた文が答えだと思い、それを読んだ上で(「理解した上で」ではない)、もう一度映画を観たいという(これは今流行りの嘘ではなく、ツイッターで検索してみるといいが何十人もいる)。あのアメリカ本オヤジが正解を言ったかのような扱いを受けているのは爆笑でしかないが、批評の内容自体もエグい。普通に観てたらここまでわかるでしょという部分の読み解きが殆ど(海外小説が〜とかキリストが〜的なのは置いといて)だが、一ヶ所だけ、いやいやいやという読み解きがあり、そこが非常にまずく、そこを言い切ってしまうことって、映画的にも良くないし、実際実生活でも言ってしまっているんじゃないかと思わずにはいられない。〇〇が〇〇だ、ということではなく〇〇は〇〇の〇〇が〇〇だという部分である。こう発言することによって他の批評家との違いを出しているが、それを言わないことが批評である。と言い切ってしまう俺の批評は批評なのか?


以下本筋とは関係のないネタバレあり




「でけえ動物が出てくる流行り」

『美しい星』『わたしは、幸福』『ライオンは今夜死ぬ』『スリービルボード』と、ここ数ヶ月で劇場で観た映画のうち1/4くらいの確率で、でけえ動物が何らかの象徴として登場している。ある時は明確に、ある時は抽象的に。でけえ動物を出すと急に「映画にとってはアンリアルで現実にとってはリアル」な状態を作り出せるという素晴らしい作用がある。たとえ合成であってもその効果は変わらず、かえって合成の方がそれまでの何の違和感のない画面との異化効果が生じる。そして、単純にでけえ動物を出すと迫力がある。笑

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