便乗して挑発させてもらおう『ヨーゼフ・ボイスは挑発する』

人間が飯を食うときに、肉片としてでなく、動物として認識してしまう場合に、食べられなくなる、という現象があったりなかったりだが、俺の場合のうさぎがそうだった。ヨゼフ・ボイスのベストが頭によぎってしまう。緑の党が、島のようにガラパコスしていて、マジで内部でパコパコしているのだろうと考えていたのだが、わりかし俺の同性愛っぷりからして、そんなことないだろうとタカをくくるも、縛っていたのはうさぎだった。そんなうさぎを見たのは小沢健二の小説ではなく、リトルチャイナで、それは俺のリトルゴッドだった。だからと言って、崇めようとはしなかったし、おどけるばかりで、討論会でも煙に巻いたのはユーモアを使ったのではなく自分で笑って見せたから。ああ、毛皮はこんなにも女性に見えるのか。果たしてそれはどこの毛だろう。内部監査における登場人物にはアンドレ・ブルトンばかりが目立っていたが、実際、坂本龍一やナム・ジュンパイクが踊らなかったことが先人のリスペクトにつながっているのだと思うことばかり。唯一、ヨゼフボイスは踊れなかったのだろう、実際に。リズム感がないばかりか、踊るのを見ている。身体的リズムを他者に授けてしまったのかのごとく、踊ろうともしなかった。ただ、彼は振り向くのが好きだった。それが踊ること、つまりはダンスにおける実況見分での誤認が、かの高尚な裁判官によって行われた、芸術というフェイク。俺の右腕は運ばれていくボイスに似ている。常に既に覆われているから夏はどうしていたのだろう、それはボイスにも言えるな。彼の夏服なんて見たくもない。フェルトは批評家には似合わない。マリア・ハッサビにペルシャ絨毯を抱えさせてもらえよ。そうすれば、批評家も芸術の一部になれる。顔は見えないが、その方が都合が良いだろう。だってバレたら票がもらえないでしょう。人気票だ、すべては。だから彼は降ろされた大舞台から。その一連の流れこそ政治と呼ぶべきものだろう。

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